愛犬が死んだ。3月24日の午前8時10分。愛犬を預けていた叔母から連絡があって、「8時前に栗太郎が亡くなりました」とラインがきた。
年内持たないかもと言われたところから約4か月弱、よく生きた。18歳と7か月だった。長寿な方だと思う。心の準備をして、去年から会いに行く頻度を少しあげていたとはいえ、ショックを受け、急いで準備をしてバイクに乗って1時間半の道のりをぶっ飛ばした。
なぜ愛犬を叔母と祖父の家に預けていたかというと、事情がある。
もともと栗太郎は、私が新卒の会社で即鬱になり、休職。当時付き合っていた同期の彼氏が仙台に転勤になったため、しばらく彼氏の家に住んでいた。その時見つけたのが、栗太郎。
うつろな目をしていた。人生もう終わり、みたいな雰囲気を出していた。わたしみたいだと思った。「わたしと一緒に生きる?」と何度も頭のなかだけで思ったけど、そんな覚悟も持てずにずっと1か月見守った。もう名前は決まっていて、でも飼えないだろうな、今休職中でお金もないし。と思っていた。でも気になって、ちょくちょく見に行った。最初は9万円だったのに、どんどん値下げされ、身体も一回り大きくなっており、窓に陳列されていたのに、いつのまにか外のゲージの中に入れられ3万円になっていた。
当時付き合っていた彼氏は、パチスロが好きで、負けてくるなら怒って辞めさせてやるけど、なぜかいつも勝って帰ってきた。デート中も彼がパチンコ屋を見つけたら吸い込まれるように入っていく。それを行かせまいとひっぱるも、パチンコ屋で遊ぶと決めた彼の意志は強い。ギャンブルも大きな音も大嫌いなのに、いつも彼のパチンコが終わるのを端っこの椅子に座って読書をして待っていた。
ある時、本当に腹が立って、「1万円、すってやる!」と彼が選んだ台の横で人生初のパチンコをやってみた。どんどんお金が減っていく・・・なんだこんなもの、何が楽しいんだと思いながら残り500円まで来たところで異変が起きた。当たり始めたらしい。確変、というらしい。そこからどんどん当たりが続いて、結局わたしはその時26万円の現金を突然手にした。そのお金を握りしめて、もう名前を決めていた売れ残り犬、栗太郎を連れて帰った。仙台の彼氏のもとから東京に戻り、ゲージを買い、おむつとペットシートを買い、わたしと栗太郎の二人暮らしが始まった。
一回り大きくなったとはいえ、4キロくらい。ほんとうにちっちゃくてかわいかった。本当はいけないんだけど、首紐をつけなくても私の足元をちょろちょろして離れないため首紐なしで安全な私道を散歩したりした。自転車のかごに乗せて、海の広場まで一緒に遊びに行ったりした。これは反省しなくちゃいけないんだけど、放し飼いにして思う存分駆け回ってもらった。一緒に生きていく友ができて楽しかった。
そのうち私の復職が決まる。栗太郎をゲージの中にずっといれていくのがかわいそうだったけど、私は会社に行った。帰ってきたらくーんくーんと鳴く。かわいそうで、ごめんねごめんねと思いながら、でもやっぱりとてもかわいかった。
私の復職は長くは続かなかった。有休も使い切り、また休職ともならず、なぜか突然解雇された。もうあんまりそのときのことを覚えていないが、上司が福岡まで来て父に私が辞めるように言ったという。そのことについて父がとても憤慨していた。わたしもその上司のことが大嫌いだった。自信があって、謙虚さもなく、人生なにもかも思い通りになるというような態度。その上司の横に席替えがあったときは、「お前、嬉しいだろう」などと言ってきた。嬉しいものか。
その後わたしは、どうしても実家に帰りたくなく当時付き合っていた彼氏のところにまた滑り込んだ。実家に栗太郎を預けて。栗太郎のことは気がかりだったがわたしも大変なことになっていた。彼氏が当時住んでいた場所はとても田舎で、高圧的な精神科の先生が合わな過ぎた。あんなに頑張って入った会社を退職したということもわたしの自尊心とプライドが傷ついたし、今まで頑張ってきた私のことがかわいそうだった。とにかくそのころは鬱を悪化させ、わたしは彼氏と暮らしていながら、自殺未遂を繰り返すようになった。カッターを買ってきて毎日手首から肘までを切り刻んだ。海が近かったので、お酒を飲んで海に入っていった。二回も繰り返した。そういうことをブログにも書いたりしていたから、わたしの友達は当時わたしになんて言葉をかけたらいいのかわからなかったと振り返る。警察の保護にあい、あまりの病状のひどさに親が彼氏の家まで私を迎えに来た。当時の彼氏は、父親に「まやさんを守れなくて申し訳ない」と謝ったという。わたしのほうこそ、申し訳なかった。
わたしは都落ちをして、実家で栗太郎と両親と暮らし始めた。栗太郎は、両親と私とそれ以外の足音を聞き比べることができ、知らない人の足音には狂ったように吠えた。実家は教養住宅で、ペット禁止だけど黙認するというなんとなくそんな雰囲気だったのに、栗太郎の鳴き声はするどかった。掲示板に「ペット禁止!」とでかでかと張り出され、栗太郎は行き場所を失ってしまった。
そういう経緯で、祖父母と叔母が暮らす一軒家に、「お願いします!」と預かってもらうことになった。愛犬を数年前に亡くしていた叔母は難色を示し「名前がジュピターならいいよ」と謎の条件を出したが、そこは、栗太郎という名前だから!と押し切った。どう見ても「ジュピター」なんてかっこいい名前を持つ犬じゃない。目がくりくりしていて、栗色の毛並みがきれいだから栗太郎、なのだ。そこだけは譲らなかった。結果、それでよかった。叔母は案外すっと受け入れ、すぐにメロメロになった。すでにメロメロになっていた父は、栗太郎に会いに毎週日曜日に祖父母の家に通うようになった。祖父母も叔母も父も、栗太郎に甘く、食いしん坊な栗太郎に甘い、例えばシュークリームなどを分け与えた。バニラアイス、お饅頭…栗太郎は人が食べているものを欲しがる。私からは絶対もらえないのがわかっているから、父や叔母にねだる。そうしてぶくぶくとふとった栗太郎は、12キロになり、短い脚でとことことこと重い体をゆすりながら散歩するようになった。その姿が面白く、散歩中に「もっと頑張って走れよ~!」などとおじさんに声をかけられたり、小学生の女の子たちは「栗太郎?ハム太郎みたい!」と笑われ、栗太郎に会いに祖父母の家に遊びにくるようになったらしい。近所からも愛される存在として、栗太郎はすくすくと育った。
私は結婚して転勤族となり、なかなか栗太郎と会えなくなったけど、「栗太郎アイシテルの会」という叔母と我々家族のグループラインを作ったので、叔母からちょくちょく写真や動画が送られてきた。小さいときからだったが、栗太郎は寝相が悪い。なぜかいつも頭がベッドからはみだして頭が下の状態で寝ていることが多い。そんな変な寝相の写真を見て、いつまでも変わらないねと笑った。
たまに遊びに行くと、本当に大歓迎!をしてくれる。家の門を開ける音から聞きつけ、玄関を開けるころにはダッシュで入り口まできている。そのままの勢いで玄関を飛び出し、走りながらすてーんと転がりおなかを見せ、撫でて!撫でて!と催促してくる。そして必ず嬉ションを放つ。みんなまた嬉ションだー!と騒ぎながら逃げ惑う。知らない人には吠えるけど、徐々にいとこや親せきの叔母、いとこの結婚相手も認識して甘えまくる。その勢いがすごくて毎回笑ってしまう。そして、みんなが帰るときはわかりやすくテンションが下がる。もう目もみてくれなくなる。「なんで帰るの・・・」と思っているのがありありとわかる。またくるからね!と声をかけて、その場を離れる。そういう姿もかわいく、本当に栗太郎はかわいいねえという話がしばらく続く。
そんな栗太郎だったけど1~2年前から様子が変わってきた。まず目が白内障になった。あまり見えていないようだ。そして耳も遠くなった。門の音までわかっていたのに、もはや玄関を開け「栗太~!」と呼ばないとわからない。そのうち、玄関も上がって寝ている栗太郎に「きたよ」というまで気づかなくなっていった。「もうおじいちゃんだからね」と仕方なく思ったけど、悲しかった。それでもよたよたと動いていた。
2025年の年末、「もう年を越えられるかどうか」と診断された。でも、年は越せた。年始の病院で、レントゲンで見れないと言われていたのに、腹水がなくなったらしくレントゲンがとれるようになった。問題ないとのことだった。だから少しほっとした。わたしは転勤で祖父母の家から1時間半の地域まで戻ってくることができたため、時々栗太郎の様子を見に行った。よたよたしてるけどまだもうちょっと生きてくれると信じていた。
先日、実家による用事があって、そのとき父が「今から栗ちゃんに会いに行くよ」と言ったけど、疲れていたわたしは「今度でいいよ」と断ってしまった。それから2日後のことだった、栗太郎の訃報が届いたのは。2日前、なんで会いに行かなかったんだと後悔した。でも叔母からの動画ではまだ元気に見えたから。それなのに突然だった。
すぐバイクに乗って栗太郎に会いに行った。動かない栗太郎が、いた。涙が止まらなくなった。撫でたら喜んでいたこめかみも、のども撫でるのに全然反応しない。でもおなかを触るとまだ温かい。動きだしそうなのに、全然うごかない。動いてたのに…二日前叔母が送ってくれた動画では動いてたのに…動かない。そんな栗太郎を見て、そばを離れることがしばらくできなかった…。
わたしが栗太郎と出会ったのが多分23歳のとき。わたしが40歳になるまで一緒にいるのかなと思ったけど、ちゃんと18歳7か月、わたしが41歳7か月になるまで生きてくれた。
3日経った今日、栗太郎は火葬に出され、おじいちゃんに会いに行った。おばあちゃんがあちらへ行くときには、元気な姿でおおはしゃぎでお迎えしてくれるだろう。私のことも、そちらへ行くまで忘れないでいてもらいたい。