昨日はおばあちゃんのお見舞いに言ってきた。その帰り道、夫と深い話をすることができた。
不妊治療クリニックで「射精道」という本をお勧めされたので、わたしが先に読んで夫に渡していた。
長らく読まれていなかったけど、こないだ喧嘩(わたしが勝手に切れただけ)したときに、「あの本を読んで!」と強く言ったから読んでくれたらしい。
わたしが「それで、感想は?」と聞くと、「まず、『セックスなしに不妊治療無し』というところがぐさりと心に刺さった」と言っていた。
そして「まやさんが『最後まですることがセックスでない』と繰り返し言っていたけど、そのことも載っていた」と。
「まやさんはなんであの本に書いてあることをわかっていたの?」と聞いてきたけど、普通に女性だったら同じことを言うと思いますと答えた。
夫は、3年前双子の妊娠を断念したときにはわかっていなかった。あと、まやさんがいればそれでいいとも言えなかったのが悪かったと言っていたけど、わたしはあの時のあなたは絶対に言えなかったと思うと返した。
あのときはまやさんの気持ちをわかってあげられなくてとも言っていたけど、それも、わたしは「10回くらいテーブルで面と向かって夜のこともなしに不妊治療を続けるのは辛い」と訴えていたのにそれを「わかっていなかった」と言うのは違うと思うと返した。
あんなに何回も訴えたのに改善されなかったのは夫の勇気のなさだし、わたしと向き合ってなかった証拠だと思う。
あのときちゃんと向き合って聞き入れて努力してくれていれば、双子は生まれていたかもしれない。多分生まれていたと思う。
そこは夫に責任があると伝えた。夜の営みもなしに子供が生まれるはずがないし、わたしだって、最初から子供が欲しくないと思っていたわけじゃない。
それなのに夫がその問題から逃げ続けたせいで私たち夫婦に子供は生まれることはなさそうだ。
だけど私の判断でここまで続けた不妊治療をやめることはできない。わたしが将来後悔するのが怖いから。他責にしたい。私の意志では止められない。こんなに、自分のことだけで精一杯なのに子供がいたら私が壊れてしまう。それなのに、わたしはとめられない。もし子供が生まれてわたしが辛くなることがあればその時は夫を責めてしまうだろう。それが予想されて自分でも怖い。わたしが社会性がないのに、子供に教えてあげられることはない。私ができることは勉強を教えることだけ。背中で語ることもできない。子供遊びも付き合うことができない。散らかった家に我慢できない。お子様向けの番組を見るのも耐えられない。とにかく子供に関わることはわたしはあんまり好きではない。
子供がいない未来のことを考える。仕事ができるだろうか。わたしは富裕層になりたい。どうしても、なりたい。お金で苦労したくないし、欲しいものを買いたい。上質な体験をしたい。自分を好きでいるためにお金をかけるべきところはかけたい。こんなに自分勝手な私に子供がくるはずがない。
でも、そしたら、私の幸せってなんなんだろう。
何ができたら一日を満足に終えられるのだろう。それがわからなくて、今日は起きられなかった。わたしは何をするために今から目を覚ますの?と。生きる意味を見失っている、今。
なんで生きているんだろう。なんでお金が欲しいんだろう。なんで稼ぐことに執着して、なんで夫を追い詰める言葉を放ってしまうのだろう。こんな私に生きている意味などない。