そろそろ再開しないとと思いつつ、清書までたどり着けなかったけど、とにかく更新すること。じゃないとわたしの残された人生から見返したときに、「ただ寝ていただけの期間」として今が残ってしまう。それが嫌だ。
この二か月半、私は、急性虫垂炎からの回復でほぼ寝たきりの状態だった。盲腸に穴があいて、腹膜炎の一歩手前まで行って、元からない体力のおかけで回復に時間がかかってしまった。
その間メンタルのことを考えることがなかったけど、身体が元に戻ってきたおかげで(のせいで)メンタルの不調がここのところ感じられる。それは不安。働くことに対する不安。
あと1年でタイムリミットの不妊治療は、年々うまくいかなくなってきていて、体外受精できるのもあと2回。まだ終わってないけど、子供のいない人生を歩む気がする。わたしは不妊治療の過程で、自分の気持ちと体力が子育てに向いていない気がして諦めがつくかもしれないけど、夫に子供のいない人生を歩ませるのがとても申し訳ない。
そしてその後のわたしの人生がとても不安だ。わたしは鬱になってから、一回も仕事がうまくいったことがない。リクルートを辞めてから、正社員、派遣、パート、アルバイト・・・いろんなことをしたけれど、大体3か月で限界がきてしまう。人とトラブルを起こしたり、ただ行きたくなくなって、行けなくなって逃げるように辞めたり。そういうのが多分20回以上続いている。よくこんだけ失敗しておいて、まだ働く気でいるなとも思うけど、バリバリのキャリアはわたしの夢だった。稼いでみたかった。仕事ができないくせに、稼ぎたいという気持ちが強い。株式投資もまあまあうまくいっているけど、株式投資をもっと楽しむために、やっぱり追加で稼ぎが欲しいし、入金力をつけたい。仕事が苦手だけど稼ぎたい・・・ずっとその方法を模索している。
専業主婦になれたときはとても嬉しかったのに、うどんをこね、ベーグルをこね、マフィンにはまり、クッキーにはまり、スパイスカレーにはまり、手作り調味料にはまり。そんなことを一日中していたら半年で飽きてしまった。上越に居た半年間の間はずっと料理をしていたけれど、長岡に行ってからはそんなに料理をした印象がない。長岡は花火しかない街で毎日がとてもつまらなかった。やることがなくてKPOPにはまっていった気がする。ずっとYouTubeを見ていたような。そんな記憶しかない。あの信濃川にかかる橋がわたしの行動範囲を狭くして、クソ医者がいる病院に通っていたなくらいしか思い出がない。冬は雪に閉ざされて、近くのリバセンしか行くところもないし、ローカルフードもおいしくなかった。あのとき働くことを少しでも考えただろうか?いや、考えていない。ただその日を暮らすだけで何もなく過ぎていった日々。近くに保育園のようなところがあるなとは思ったけど資格が必要で、その資格を取ろうという気持ちにもなかなかった。そんなこんなしているうちに不妊治療で行き詰ってパニックになって、福岡にひとりで戻る羽目になってしまった。夫に本当に申し訳なかった。
双子のことで、夫は九州への転勤を勝ち取り、グレードをアップさせ、わたしは障害が重くなって障害年金の額が跳ね上がった。北九州に来てから、近くの教習所に通い、普通二輪と自動車の免許をようやく取れた。夫はさらに異動して花形部署になり、今まで雀の涙ほどだったボーナスがちゃんともらえるようになった。収入は増えた。移動手段もできた。クソ医者じゃなく、信頼できる医者がたくさんいる街にいる。実家(頼ろうとは思わないけど)も近い。環境が劇的に良くなって、あとはわたしが・・・
気持ちを整えるだけ、体力をつけるだけ、少しずつ、少しずつ・・・
もし子供ができなかったとしても、そのあと後悔しないようにしなくてはいけない。
結婚するときは子供が欲しいと明確に思っていたのに、減薬が進まなかったのはなぜだろう。東京で良太郎先生のときには睡眠薬はロゼレムに変えれるまで進んでいたはずなのに。転勤でリセットされてしまったのだろうか。いつのまにかゾルピデムがないと眠れなくなっていた。ロゼレムで眠れるならそれがベストだったのに・・・
虫垂炎で手術をした後、メンタルの薬の副作用が強くなって、副作用止めの薬も増えたり、眠れなくなったりしたからまた睡眠薬が増えている。こんなんで不妊治療なんか本当はしたくない。でも辞めることはできない。後悔が残りそうだから。あとから、なんでやめておかなかったのか?と思い返すことになったとしても、わたしは不妊治療を辞めることができない。自分で選びたくないから。自分で進んで「子供のいない人生を選択したくないから」
誰かが「こんなに薬を飲んでるなら無理だよ」と先生とかに言われないと、辞められない。自分の意志で決定することができなくなってしまった。あとから夫の姓にもしたくないのに。夫のせいにしそうな自分が怖い。夫のことを責めたくない。でもきっとやってしまうだろう。夫がわたしのきつい言葉で傷つかないでほしい。そんなことを考えながら生きている。